pure blue japan(ピュアブルージャパン)デザイナー岩谷氏が語るブランドの誕生とグローバル市場での成功秘話

中井ミチ
ジーンズソムリエの資格を持つ。英マンチェスター大学院にて修士号を取得後、イギリスのセレクトショップにてバイヤー業を務める。帰国後、日本ブランドの海外セールスを担当し、現在はEC業界で活躍。

岡山発の人気デニムブランドpure blue Japan(ピュアブルージャパン)。日本では原宿に店舗を持ち、世界のデニム市場で大きな存在感を示している。同ブランドデザイナー岩谷氏にインタビューをし、pure blue japan(ピュアブルージャパン)の誕生からグローバル市場での成功の背景について話を聞いた。

– 岩谷さんのプロフィールとpure blue japan(ピュアブルージャパン)創設前は何をされていたか教えて下さい。

私は生まれは岡山ではないのですが、父の転勤で岡山に来ました。私にはデニム好きの兄がいて、兄から教わってその当時は5,000~6,000円だった赤耳のリーバイスの古着のジーパンを幼少期から履いていました。軽石でそのジーパンを削り色を落としたりしていました。

前職は岡山にある生地屋で営業職をしていました。東京や大阪にある取引先企業に生地を卸していました。元々は生地屋という存在すら知らなかったのですが、どんな会社だろうと好奇心で入社しました。働き始めたら生地売る事が思いの外楽しくやり甲斐を感じていました。その後、その好奇心が生地から服に移り、そのまま生地を売るより、その生地で服を作って売った方が楽しいのではと思った事から1997年25歳の時に服を作り始めました。

- ブランド設立当初のお話しと、pure blue japan(ピュアブルージャパン)と名付けた理由を教えて下さい。

大手服飾メーカーと差別化をする為に藍染やインディゴ染に特化した服作りをしようと思いました。藍100%を使用しての染色を私達のパートナーである徳島地域では(しょうあい)と呼んでいてそこから名前を取り、会社名は正藍屋としました。また当時から世界に向けた服作りをしたいと思っていたので、そこの派生からpure blue japan(ピュアブルージャパン)というブランドが出来ました。なのでpure blue japan(ピュアブルージャパン)のセルビッジは赤ではなく青にしました。

服作りの知識は全く無かったので、自分で服を作る場合はパーツが少なく、生産が容易そうなジーンズと決めて始めました。自分が岡山にいる事や幼少期からデニムに馴染みがあった事でデニムがいつも身近にありましたし、前職の得意先に縫製工場もあったので、生産を始める事自体は苦労しなかったです。しかし、初めて自分でパターンを引き、作り上げたジーンズがめちゃくちゃカッコ悪く仕上がりました。深く突き詰めるとパターンだけが悪かったのでは無く、根本的にすべて間違っていました。その時に初めて服作りは難しいと痛感しました。その後、試作を何回も繰り返し、今のpure blue japan(ピュアブルージャパン)に近づきました。

- pure blue japan(ピュアブルージャパン)のこだわりを教えて下さい。

pure blue japan(ピュアブルージャパン)は流行のものを作る事はないです。設立当時はレプリカジーンズブームでしたが、pure blue japan(ピュアブルージャパン)はレプリカではなく日本人が日本の地でしか出来ないデニム生地作りを目指しました。

製法では糸染めにこだわりがあります。一部の商品を除き糸をインディゴや本藍で染めてから商品を作る(先染めのロープダイ)にこだわりがあります。この工程を持つ事により、生産の難易度がぐんと上がります。糸を生地にしてから染めるのが一般的で、多くの企業がそうしていますが、糸染めをする事で他メーカーと差別化させています。それは落ちに重要な糸の芯を白く残す、ロープ染色という染色方法でのみ可能で、pure blue japan(ピュアブルージャパン)はジーンズだけではなく、Tシャツなどにもロープ染色したインディゴの糸を使う事で、デニムと同じ様の色落ちを実現させました。この製法で作る商品の経年変化がpure blue japan(ピュアブルージャパン)の最大の特徴です。

デニムの織り方は専用の古い織機をメンテナンスして使い続け、糸染めした糸を使いザラザラ感・スラブ感のあるデニムを織り、あえてサンフォライズ加工せずに作っています。

別の差別化として、縫製は特殊なミシンで太目の糸を使用してステッチの目も大きくしています。日本のデニムブランドはレプリカが多く、小さい目のステッチを使用していますが、大き目にする事でパッカリングが出やすくなり、見え方が印象的になります。

- いつ頃からpure blue japan(ピュアブルージャパン)は現在の規模になりましたか?

設立当時から海外に売りたいという思いがあり、2000年にイタリアのPittiに出展しました。その当時は日本のデニムが世界ではあまり認められていなかったと記憶しています。

2005年にニューヨークのソーホーにBlue in Greenというショップをオープンさせたいと、オーナーが東京の店舗に商品を買い付けに来ました。初めは売れるのか半信半疑で取引を始めたのですが、ソーホーという場所もあり予想以上の反響がありました。「どうやら日本のデニムは注目されているらしい」と世界中の個性派ショップ間で話題になり、それから日本デニムの人気に火が付いた様に思えます。その人気が追い風になり、pure blue japan(ピュアブルージャパン)の海外での認知度が広がっていきました。ちなみにBlue in Greenは現在、日本のデニムを扱うセレクトショップの中では有名で影響力のあるお店のひとつです。

現在は年に2回アメリカとヨーロッパの展示会に出展しており、実際にバイヤーと会い深く商談する事によりビジネスが伸びています。今は25か国前後のお店にpure blue japan(ピュアブルージャパン)を卸しています。アフリカ大陸以外の大陸には入っています。売上ですと、アメリカ、中国での売上が常に伸びており、イギリス、スイス、オーストラリア、タイは安定して売れています。中でも物凄い勢いがあるのが中国です。20代のブティックオーナーがどんどん店舗を増やしています。

日本国内の販路に関しては、卸は殆どやっていなく、信用のできるオーナーの店舗数件のみで、原宿の直営店をメインにしております。実際に来店するお客様とのコミュニケーションを大切にして、商品を販売しています。

- pure blue japan(ピュアブルージャパン)のお客様はどんな方ですか?

20代後半以上の男性が多いですが、一緒に来られた女性にも人気があります。お客様のタイプはさまざまで、レギュラーフィットのジーンズとウェスタンシャツを合わせたり、細身のジーンズをスニーカーに合わせたり。と、お洒落に気を使われているお客様が多いように思います。

- pure blue japan(ピュアブルージャパン)のデニムのおススメの色落ちのさせ方を教えてください。

まずは、ひたすら履く事がカッコいい色の落とし方です。そして、半年間に1回洗濯する事が理想的です。しかしこれは理想であって、暑いと半年を待たず汗と汚れで臭くなってしまうので、私は汚れを感じた時点で洗濯します。メリハりある色落ちをさせたいので、私自身は色を落としたいジーンズは夏には履かないようにしています。暑い時期は色が既に落ちたジーンズを履くことが多いです。洗濯には柔軟剤は使わず、普通の洗濯用洗剤でジーンズを裏返しにして洗濯機で洗います。少しアタリが出始めたら、汚れを感じたら洗えばいいと思います。

- pure blue japan(ピュアブルージャパン)以外で岩谷さんが気になるブランドはありますか?

KAPITAL(キャピタル)、WAREHOUSE(ウエアハウス)、FULLCOUNT(フルカウント)、The REAL McCOY’S(リアルマッコイズ)、IRON HEART(アイアンハート)の5ブランドは本当に良い商品を作っていると思います。pure blue japan(ピュアブルージャパン)とはコンセプトが違いますが、あれほどのクオリティーの高いモノ作りは素晴らしいと思います。


岩谷 健一 (いわや けんいち)
幼少期に岡山県に移り住み、兄の影響でジーンズに興味を持つ。同県倉敷市の生地メーカーを経て1997年正藍屋を設立し、pure blue japan(ピュアブルージャパン)をスタートさせる。以来、同ブランドのデザイナーとしてインディゴ染にフォーカスした商品を展開。pure blue japan(ピュアブルージャパン)は日本のみでなく、世界のデニムマニアから絶大な支持を得ている。

pure blue japan(ピュアブルージャパン)オフィシャルサイト
URL: purebluejapan.jp

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