チノパンとカーゴパンツの誕生と広まり。
普段何気なく履いているチノパンや、カーゴパンツ。ベージュ色のパンツがチノパンで、ポケットの数が多いのがカーゴパンツと漠然としたイメージをお持ちではないでしょうか?
チノパン、カーゴパンツはどちらも軍隊に採用されていたミリタリーパンツですが、誕生から認知されるまでには大変面白いストーリーがありました。
チノパンとは何か?カーゴパンツとはどのようなディティールなのか?
カーキ色とは何なのか?名前の由来やディティールに関して、歴史的背景交えながらまとめました。
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チノパンとは
チノパンとは、チノクロスと呼ばれる綿等を綾織で仕上げたツイル生地を使ったパンツの事を指します。ツイルとは綾織の事で、タテ糸が2本~3本のヨコ糸の上を通過した後、1本のヨコ糸の下を通過することを繰り返して織られもので、生地の表面に斜めの畝が見えるのが特徴です。デニムやツイードと同じ綾目の組織です。
このチノクロスには、一般的にカーキ色が使われます。なぜこの色がチノパンに使われているのでしょうか?カーキ色の歴史は、チノパンの誕生と深い関りがありました。
チノパン誕生のきっかけとなったのは、カーキ(土埃)色のパンツ?
チノパンという名前が使われたのは20世紀に入ってからの事です。その前までは固有名詞はなく、カーキ色のパンツとして主に陸軍で採用されていました。それでは、カーキ色のパンツが誕生したのはいつなのか。このストーリーは200年近く前のイギリス軍のインド侵略の頃まで遡ります。
イギリスは18世紀中頃からインド植民地支配を推し進めます。 1875年のインド大反乱を武力で鎮圧し、イギリス国王がインド皇帝を兼ねるインド帝国として、インドを直接統治するようになりました。
このインド侵略の中で、イギリス軍はある事に困っていました。それは、イギリス軍採用のトラウザーズが真っ白であった事でした。
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インドの砂埃が舞う土地には白いパンツが馴染まずに、敵にすぐに見つかってしまう。本来なら、軍服は機能性とカモフラージュの効果があってこそ有効なものであって、敵にすぐに見つかってしまう様ではあまり意味がありません。
そこで、当時の連隊長であるハリー・ラムズデン卿が対策を練ります。彼はその白の軍服を、コーヒー・桑の実・そしてインドという土地柄、手に入りやすかったスパイスを混ぜた汁を使い、インドの土地に馴染む色に染め上げました。それがカーキという色でした。カーキはヒンドゥー語で”土埃”や”土色”という意味です。”インドの土の色に染まったパンツ”は、まさに戦場でのカモフラージュにぴったりなものとなりました。また、負傷した際にもカーキ色は効果を発揮したようです。従来の白いパンツですと血が滲む事でパニックになる兵士が多かったようですが、カーキ色にすることによって血が目立ちにくくなり、メンタル面でも一役買っていた様です。
このストーリーがカーキが色として認識される起源と言われております。そして、このカーキ色のパンツがある事をきっかけにチノパンと呼ばれ、世界中に広がっていくことになります。
ちなみに日本でカーキというと、軍隊カラーのオリーブ色を連想する事が多いですが、正しくは前述のような土埃のようなベージュ系の色を指します。軍隊カラーのオリーブ色は、オリーブドラブという色です。
カーキ色のパンツ=チノパンになるまで
19世紀は、イギリスで起きた産業革命により、手作りから工場での大量生産へ変還していく時代です。先の戦いで成果を挙げた、カーキ色のパンツはイギリス軍の軍需品となり、大量生産されていきます。イギリスのマンチェスターで大量に作られ、戦地であるインドに送り込まれます。そしてその余剰分が中国へ輸出されていきました。この頃はインド産のアヘンが大量に中国へ輸出されており、アヘン戦争なるものが起きていました。イギリス軍は、インド侵略の次には中国への進出も視野に入れていたため、アヘンだけでなく、軍需品も輸出されていました。
そして、この中国に輸出されたカーキ色のパンツを、大量に購入した国がありました。
それがアメリカ合衆国です。
1898年、アメリカはスペインとの戦争に勝利し、フィリピンを統治することが決まりました。
アメリカ軍はフィリピン駐在用の軍服としてカーキ色のパンツ、後のチノパンを中国から大量に購入しました。それまでフィリピンはスペインの統治下にあったこともあり、スペイン語が主流でした。スペイン語では中国の事をCHINO(チノ)と呼ぶことから、中国から大量に届いたこのカーキ色のパンツをチノパンと呼びました。これがチノパンの起源と言われています。
実的な軍需品として誕生したカーキ色のパンツは、時を経てアメリカの手に渡った事で、チノパンという名前で呼ばれることになりました。チノパンと言えばアメリカのイメージがありますよね。このストーリーを聞けば、納得できるのではないでしょうか。
アメリカ軍によるチノパンの誕生
イギリス→中国→フィリピンへとやってきたカーキ色のパンツ、すなわちチノパンは、その実用性からアメリカ軍でも自国のユニフォームとして採用していきます。それが1941年に製造されたカーキ色の戦闘服であるM-41というシリーズで、通称”41カーキ”とも呼ばれているチノパンです。41カーキのチノパンは、アメリカ軍のチノパンの起源とも言えるアイテムですので、大変価値のある人気モデルです。
こちらはFULL COUNT(フルカウント)から復刻されている、41カーキのチノパンです。生地からディティールまで忠実に再現されています。
アメリカ軍のチノパンで使われる生地は、一般的なチノクロスとは違い、通称ウェポンと呼ばれるものを使用しております。
ウェポンとは、米国陸軍のウェストポイント士官学校の制服に由来する生地で、ウエストポイントとは地名なのですが、それが省略され、ウエポンと呼ばれるようになりました。
このウェストポイント士官学校は、1802年に設立されたアメリカ合衆国で最も古い士官学校で、学校の設立以前、そこには要塞があったそうです。場所は、ニューヨーク州のウェストポイントに位置します。
ウェストポイントと呼ばれる生地の規格は、綿コーマ糸を使い、経糸36s/2、緯糸25s/2、40インチ、密度108本×60本/インチの綾織物で、さらにシルケット加工をかけ、光沢を出した高級感のある織物です。もう少し簡単に言うと、なめらかなコーマ糸を双糸で撚る事でハリ感と高級感を持たせ、さらに加工により光沢が出るので、見た目の美しさと、丈夫な機能性のある素材という事です。
※コーマ糸とは一般的な糸はカード糸と呼ばれるものが多く使用されていますが、コーマ糸はこのカード糸から細かな繊維を除去し、繊維の平行度を良くしたものです。それにより、なめらかな手触りに仕上げたものを指します。
※シルケット加工とはその名の通り、シルクの様な風合いを持たせる加工で、綿繊維を引っぱりながら苛性ソーダ(水酸化ナトリウム)水溶液に浸ける加工でシルクの様な風合いを持ち、シワになりにくくなるなどさせるものです。
アメリカではこの規格の織物をユニフォームツイルといい、高級作業服、運動服にも使われています。
アメリカ軍では、M-41から始まり、その機能性から現在もなおチノパンを作り続けております。当初ボタンフライの綿100%素材であったチノパンも、より扱いやすい様にジッパーフライになり、生地も綿とポリエステル混紡になったりと、時代に合わせてチノパンも進化していきました。
カーゴパンツとは
ミリタリーパンツの代表的なパンツと言えば、カーゴパンツではないでしょうか。カーゴパンツもチノパン同様、アメリカ軍での採用を機に、広がっていきます。
カーゴパンツとは、たくさんのモノが入るように大きなポケットが付いたパンツの事を言います。Cargo(カーゴ)=貨物という意味から連想できる通り、貨物船や港で働く作業者たちのワークウェアとして用いられたことがその歴史の始まりだと言われており、 後にアメリカ軍の空挺部隊に採用される事で、現代のカーゴパンツに近いカタチになっていきます。また、デニムがファイブポケットパンツと呼ばれるのに対して、カーゴパンツは六つのポケットがある事から、シックスポケットパンツと呼ばれます
カーゴパンツが軍需品となるのは、1942年の事でした。それまで貨物船や港で働く人々の作業着であったカーゴパンツは、アメリカ陸軍の空挺部隊の戦闘服に採用されました。空挺部隊はパラシュートを装備して航空機から降下する必要があるので、バックパックを背負うことができません。その代わりに考案されたのが、装備品を収める大容量を備えたカーゴポケットを搭載したパンツでした。空挺部隊はParatrooper(パラトルーパー)と呼ばれ、生き残る為の実用的なディティールであるカーゴポケットを搭載したパンツを身に着け、戦闘機から飛び降り戦地に向かっていきました。
Paratrooper(パラトルーパー)の実際の訓練動画です。このカーゴパンツは、別名パラトルーパーパンツとも呼ばれています。
この成果によって、カーゴパンツはアメリカ軍公認のモデルとなり、後の1951年に考案されたM-51というカーゴパンツが完成したことで、世の中に広まっていく事になります。
現代のカーゴパンツの原型、M-51
M-51カーゴパンツは、カーゴポケットがついたシックスポケットパンツで、現代のカーゴパンツの元になっているモデルです。1951年に正式採用され、極寒の気候下で使用する防寒ようのオーバーパンツとして開発されており、中にはパイルのライナーが取り付け可能になっています。ライナーの重さに耐えれるようにサスペンダーボタンが付いたり、カーゴポケットの内部には止血や消音などのために使われるサイドストラップが収納されておりポケットの後ろ側に施された切込みから外に引き出して使用できるようになっていたり、ディティールも面白いです。またオーバーパンツの為、極太シルエットが特徴です。
名品M-65カーゴパンツの誕生
M-51カーゴパンツの後にいくつか改良され、1965年に採用されたのが、M-65カーゴパンツです。カーゴパンツと聞くと、この品番を連想するほど有名なモデルです。シルエットはM-65カーゴパンツの方がやや細いですが、作り自体はかなり似ています。変更点としては、ミルスペックがプリントされたものから縫い付けられたものに変更され、生地も変わりました。M51カーゴパンツは、綿100%なのに対して、M-65パンツは綿50%、ナイロン50%の混紡素材になった為、履きこんだ時の風合いは違うものになっていきます。
人気急上昇のフランス軍のチノパンとカーゴパンツ
チノパンや、カーゴパンツが広がるきっかけになったのはアメリカ軍である事がわかりましたが、当時他の国でもチノパンやカーゴパンツに似たモデルが作られていました。その中でも近年人気が急上昇しているものがフランス軍のミリタリーパンツです。特に人気のフレンチミリタリーを代表する人気モデルが、M-47パンツ。先にあったカーゴパンツに属されるディティールで、アメリカ軍の無骨な感じとはまた違った印象のどこか上品なパンツです。あのマルタン・マルジェラが、ファッションショーでM-47パンツを裏返してモデルに穿かせたり、ラルフローレンをはじめ様々なデザイナーがそのディティールを参考にするなど、魅力の詰まったカーゴパンツです。
M-47は1947~1970年頃までの約20年間作られていたモデルで、一般的に前期と後期と二つに分けて年代分けされています。
前期のモデルは、ツイル素材を使用しており、フロントボタンも2つあるのが特徴です。前期のなかでも初期のものはボタンが3つあるものやメタルボタンが使われていたり、サイズ表記が1950年代のものから変更になったりと、時代によって微妙に仕様が異なるのも面白いところです。シルエットは、ほぼテーパードのない、真っすぐ下に落ちる極太のストレートパンツです。
後期のモデルは、主にへリンボーン素材で、フロントボタンは1つです。前期より少しテーパードがつき、履きやすいシルエットに仕上がっています。
フランス軍のチノパンM-52パンツ
フランス軍のチノパンタイプもあります。M-47同様に近年値上がりしている、M-52パンツ。M-52チノパンも一般的に前期と後期で分けられていて、バックポケットのフラップの有無で判断することができます。前期は1950年代前半に製造されているモデルで、フラップが付きません。後期は1950年代中頃~60年代まで作られており、フラップがつきます。後期の中でも古いものは1タックで、新しいものは2タックに変更になっていたりと、仕様の変化があります。
フランス軍のパンツのサイズ表記について
フランス軍ミリタリーパンツのサイズ表記は、数字2つで表されてます。13や25、31等、数字が大きい方ほどサイズも大きくなるわけではありません。左側の数字はレングスを表しており、右側の数字はウエストを表しています。サイズ13の場合、レングスが1、ウェストが3というサイズになります。個体差はありますが、レングス1は股下が70くらい、レングス3で股下が80くらいのものが多い様です。ウエスト1で80cm弱、ウエスト3で85cm、ウエスト5で90cmほどと、サイズ感が変わってくるので、購入前には数字をよく確認すると良いと思います。
生地やディティールも忠実に再現。レプリカモデルがすごい。
せっかくならチノパンやカーゴパンツのオリジナルを履いてみたいと思う方もいらっしゃるかと思いますが、マイサイズやデッドストックでの入手は大変困難になっています。そこで、日本の凄い技術力で当時のディティールや生地を忠実に再現しているブランドがあるのでご紹介したいと思います。こんなところまで再現する必要はあるのか…と思わせるほどの作りこみは、ブランドの熱意を強く感じます。
こちらはWAREHOUSE(ウエアハウス)から復刻されているM-41のチノパンです。
まとめ
本来機能性の為に作られていたミリタリー由来のチノパンや、カーゴパンツ。ストーリーを知って頂き、これからの購入される際の判断材料になれば幸いです。また、これまで紹介した内容を元に、ご自身でお持ちのチノパンやカーゴパンツのディティールを調べてみるとより愛着が沸くと思います。この機会に調べてみてはいかがでしょうか。